東京地方裁判所 昭和63年(ワ)6237号 判決 1990年11月19日
原告
ウィリアム・ジェイ・リオペル
右訴訟代理人弁護士
木下淳博
同
大石剛一郎
被告
財団法人国際教育振興会
右代表者代表取締役
板橋並治
右訴訟代理人弁護士
青山周
主文
一 被告は原告に対し金二〇万九一七〇円を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求の趣旨
一 被告は原告に対し金三七九万八一六一円を支払え。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
三 仮執行宣言
第二事案の概要
一 雇用契約
原告は、昭和五二年一月一日から被告に英会話の教師として雇用され、昭和六三年三月三一日まで勤務して退職した。
二 原告の労働時間の削減
1 原告の給与は、割り当てられた労働時間に応じて支払われるものとされ、昭和六二年当時一時間当たり三九二三円とされていたところ、原告と被告とは、昭和六二年一〇月から昭和六三年三月までの被告のスケジュール編制に当たり、原告に割り当てられるべき労働時間を週二一時間(火曜日及び水曜日に各七時間、金曜日に三時間、土曜日に四時間)とする旨合意した。
2 ところが、被告は、昭和六三年一月から原告の夜間の労働時間(火曜日、水曜日及び金曜日の各三時間)を削減し、その時間は原告の就労を認めなかったため、昭和六三年一月六日から三月一二日の間に、原告の労働時間が当初の合意より合計八七時間減少した。
三 未払給与の請求
1 被告は、右減少した労働時間八七時間のうち水曜日の各一時間の待機時間(計一〇時間)及び昭和六三年一月一九日(火)、二〇日(水)、二六日(火)、二七日(水)の夜間各三時間(計一二時間)の合計二二時間については、後に労働時間と認めて賃金の支払をした。
そこで原告は、残りの六五時間につき労務の提供があったとみるべきであるのにその受領を拒否され、この時間に対応する給与が未払であると主張して、これに対応する給与二五万四九九五円の支払を求める。
2 これに対して被告は、原告の労務の提供を争い、右労働時間の削減については、原告と被告との間に昭和六二年一二月一五日ころ合意が成立した、仮に全時間について合意されなかったとしても、少なくとも金曜日の三時間(合計三〇時間)の削減については合意された、と主張して支払義務を否定している。
四 退職金の請求
1 原告と被告の雇用契約においては、退職金は、昭和六二年度(各年度は四月一日から翌年三月三一日まで)においては一時間当たりの基準賃金五〇〇八円に退職前三年間の一月当たりの労働時間(基準労働時間)を乗じ、更に勤務年数とその係数とを乗じて算出することとされていた。
2 原告は、右基準労働時間算出の基礎となる退職前三年間の労働時間を現実の労働時間である三一六二時間に前記削減された八七時間を加えた三二四九時間とし、勤務年数を一一年三月(係数〇・四×一一・二五年)として算出し、二〇三万三八七四円(五〇〇八円×三二四九時間÷三六月×〇・四×一一・二五)であると主張する。そして、既に支払われた一二二万九一三〇円を控除して八〇万四七四四円の支払を求める。
3 これに対して被告は、右三年間の基準労働時間は原告の主張する三一六二時間に後に被告が労働時間と認めた二二時間を加えた三一八四時間(仮に金曜日のみ削減合意がされたとすると、更に三五時間を加えた三二一九時間)であり、勤務年数については原告が留学のため休暇を取った昭和五七年七月一日から昭和五九年六月三〇日までの二年間を除き、九年三月(係数〇・三×九・二五年)とすべきであるとし、これにより算出すると既払額と同額の一二二万九一三〇円(仮に金曜日のみ削減の合意が成立したとすると、一二四万二六四一円)となると主張する。
五 年次有給休暇手当の請求
1 被告における年次有給休暇の時間数は、原告のように勤務年数が一五年までの場合は勤務年数に五を加算した和に、前年度の一日当たりの勤務時間(週平均勤務時間を五日で除したもの)を乗じた積(少数点以下切上げ)とされていた。そして、被告においては、教員の各年度の有給休暇が使用されずに残った場合、未使用分を被告が買い上げ、これに対して一定の手当を支払い、さらに、年度末に退職した教員については次年度の年次有給休暇を被告が買い上げることとして右未使用分と同様に一定の手当を支払う慣行があった。そして、右手当額は、昭和六三年度については一時間当たり五〇〇八円であった。
2 原告は昭和六二年度末に退職したから、被告は原告の昭和六三年度の年次有給休暇を買い上げる義務を負うところ、被告が買い上げるべき原告の昭和六三年度の年次有給休暇の時間数は、前記の労働時間の削減の合意がされたかどうかによって異なってくる。
原告は、右削減の合意がなかったとして、週平均勤務時間は昭和六二年四月から六月までが三〇時間、七月から九月までが二七時間、一〇月から翌六三年三月までが二一時間であり、週平均二四・七五時間、一日当たり四・九五時間であるから、勤務年数を九年として算出すると、七〇時間となると主張する。
これに対して、被告は、前記削減の合意により昭和六三年一月から三月までの週平均勤務時間は一三時間(金曜日のみ削減の合意が成立したとすると一八時間)となり、週平均二二・七五時間(金曜日のみのときは二四時間)、一日当たり四・五五時間(金曜日のみのときは四・八時間)であるから、昭和六三年度の年次有給休暇は六四時間(金曜日のみのときは六八時間)であると主張する。
3 原告は、被告に対して、昭和六三年度の年次有給休暇の買上げに基づく手当として三五万〇五六〇(五〇〇八円×七〇時間)請求権を有するとして、右金額から既払額三二万〇五一二円を控除した三万〇〇四八円の支払を求める。
4 これに対して被告は、年次有給休暇の買上げに基づく手当は次のとおり支払済みであると主張する。
まず、被告主張の削減の合意が成立したとすると、被告が買い上げるべき昭和六三年度の有給休暇の時間と金額は、六四時間、三二万〇五一二円であるから、原告の自認するとおり支払済みである。
次に、右合意が成立しなかった(金曜日のみ成立した)としても、次のとおり支払済みである。
すなわち、被告は、原告に対して、昭和六三年三月二三日年次有給休暇の買上げの手当として四〇万〇六四〇円(その内訳は昭和六二年度の買上げ分が八万〇一二八円、昭和六三年度の買上げ分が三二万〇五一二円)を支払った(この事実は原告も認めている。)。
ところで、原告の昭和六二年度の年次有給休暇は、勤務年数が八年、前年度の週平均勤務時間が二六時間で一日当たり五・二時間(一週は五日)であったから、六八時間であった。原告は昭和六二年一二月末までにそのうち三〇時間を使用し、さらに、昭和六三年一月六日(水)、八日(金)、九日(土)、一二日(火)、一三日(水)、二月一三日(土)に有給休暇を請求して勤務していない(労働時間は火曜日及び水曜日が七時間、金曜日が三時間、土曜日が四時間)。したがって、前記労働時間の削減の合意が成立していなかったとすると、原告は昭和六三年一月以降三二時間(金曜日のみ合意が成立したとすると二九時間)の有給休暇を使用したことになり、被告が買い上げるべき昭和六二年度の有給休暇は、六時間(金曜日のみのときは九時間)となる。そして、昭和六二年度についても手当額は一時間当たり五〇〇八円であった(この点は原告も争わない。)から、同年度の買上げ分は三万〇〇四八円(金曜日のみのときは四万五〇七二円)となる。
そうすると、被告が買い上げるべき昭和六三年度の有給休暇の時間と金額は、削減の合意がなかったとすれば、七〇時間、三五万〇五六〇円(金曜日のみ成立したとすれば、六八時間、三四万〇五四四円)であるから、昭和六二年度及び六三年度の買い上げるべき有給休暇の手当を合算すると、被告が支払った四〇万〇六四〇円未満となる。したがって、原告の請求する手当は支払済みである。
六 未払賞与の請求
1 被告は、原告に対して、昭和六二年度の三月期賞与(昭和六三年一月から三月までを支給対象期間とするもの)として、予定時間給三九二三円に対象期間中の月平均予定勤務時間数を乗じ、更に一・二七五を乗じた金額を支払うこととされていた。
2 原告は、昭和六三年一月から三月までの予定勤務時間数は二〇三時間(週二一時間)であるから、右の計算方法に従って算出すると昭和六二年度三月期の賞与は三三万八四五七円(三九二三円×二〇三時間÷三月×一・二七五)となる、と主張し、既払額二三万〇〇八三円を控除した一〇万八三七四円の支払を求める。
3 これに対して被告は、右の期間の予定勤務時間数については前記のとおり削減の合意が成立したから、一三八時間(金曜日のみ削減の合意が成立したとすると、一七三時間)であり、三月期賞与の額は二三万〇〇八三円(金曜日のみのときは二八万八四三八円)であると主張する。
七 慰藉料の請求
原告は、被告が前記のとおり原告の労働時間を一方的に削減し、正当な賃金等の支払を拒絶したため、本件訴訟を提起せざるを得ず、多大の精神的苦痛を被ったと主張し、その損害の賠償として一〇〇万円の支払を求める。
八 債務不履行に基づく損害賠償請求
1 原告は、次のとおり主張して一六〇万円の支払を請求する。
被告は、昭和五二年に原告を雇用するに当たり、厚生年金について単に「ペンション」であると説明した。そのため、原告は、「ペンション」である以上、疾病、負傷等の場合のほか、被告を退職した後には年金の支給が受けられるものと信じて、昭和五二年から退職まで合計一六〇万円の金員を被告に対して支払った。
ところが、原告は、退職に際して初めて、厚生年金保険法によれば、老齢年金受給については原則として<1>被保険者期間が二〇年以上であること、<2>被保険者が六〇歳に達することという要件を満たさなければならないことを知らされた。
雇用当時三〇歳であった原告としては、右年金受給の要件を満たすほど長期間にわたって被告ないし日本国の他の企業で勤務する意思はなく、被告もそのことを知っていたのであるから、被告が原告を雇用する際厚生年金に関して右のような不十分な説明しかしないで保険料を控除したのは、被告の雇用契約に伴う債務の不履行であり、原告はこれにより右一六〇万円の損害を被った。
2 これに対し被告は、原告の主張を争い、次のとおり主張する。
被告は、厚生年金法に基づき、被告が被保険者である原告の負担すべき保険料を原告の給与から控除して納付したもので、この控除については原告らの労働条件を定める「英語教員用ハンドブック」に規定されているから、被告にはなんら債務不履行はない。また、原告の母国アメリカの「社会保障年金制度」も日本の厚生年金の受給資格と同様の要件を定めており、原告が主張するような誤信をすることはあり得ない。
第三争点に対する判断
一 はじめに、原告が一方的に削減されたと主張する昭和六三年一月以降の六五時間の労働時間について、原告の労務の提供があったといえるか、この削減について原被告間に合意があったか否か、について判断する。
(証拠略)によると、次の事実を認めることができる。
1 原告は、昭和六二年一〇月以降金曜日の夜に三時間の勤務(二時間の授業と一時間の待機)を割り当てられていたが、同年一二月八日メモを被告の事務局の郵便箱に入れて、今後金曜日の夜は教えない旨を申し出た。翌九日被告の長谷川教育事業部次長がこのメモを見つけ、同月一一日原告と話合った。その際、原告が昭和六三年一月からは金曜日の夜は教えたくない旨述べたのに対し、長谷川は、一つのクラスについては教育効果上一人の先生が教えることが望ましいが、原告が金曜日に教えないと原告担任のクラスは複数の人が教えることになるから好ましくない旨述べ、原告の再考を促した。
2 その後原告と長谷川は、この問題につき同月一五日再度話合いをした。そして、長谷川から、金曜日も三月まで続けてほしい旨述べるとともに、仮に原告が金曜日の夜教えないとすると、前述の教育効果の点から火曜日及び水曜日の夜の授業からも外さなければならなくなると申し入れたが、原告との間に具体的合意はできなかった。
3 被告は、その後も原告が金曜日の夜の授業につき考えを変えなかったため、昭和六三年一月から原告を火曜日、水曜日及び金曜日の夜の授業から外すこととし、同月一九日からこれらの授業を新たに採用した教師に担当させることにした。なお、同日までの授業のうち同月一四日以前のものについては、原告が休暇を申請していたため、現実の勤務の有無は問題にならなかったが、同月一五日の金曜日の授業については原告は労務の提供をしなかった。
4 被告が授業の割当てを変更した後、原告は夜の授業をしないでいたが、二月二日火曜日の午後六時ころ、教員控室にいたところ長谷川と出会い、同人から授業がないのになぜいるのか尋ねられたことがあった。その後は長谷川は、原告が夜被告が来ているのを見掛けたことはなかった。
以上の事実によれば、原告が金曜日の夜の授業を止めたい旨申し入れたのに対し、被告は、火曜月及び水曜日も含めすべての夜の授業から原告を外す旨を逆に申し入れたが、いずれの申入れについても意思の合致がみられなかったもので、昭和六三年一月以降労働時間を削減する旨の合意は成立しなかったというべきである。しかしながら、昭和六三年一月以降の金曜日の夜の授業については、原告は被告に対して労務を提供する意思がないことを被告に表明し、現に授業をしなかったものであるから、被告の受領拒否を問題にするまでもなく、原告の労働時間から除外すべきである。そして、火曜日及び水曜日の夜については、原告には労務提供の意思があったが、被告がその受領を拒否することが明らかであったと認められるから、原告が現実に授業を行おうとしなかったとしても、労務の提供があったものとみるべきである。
二 そこで、まず賃金請求について考えるに、被告が賃金の支払をしない六五時間の労働時間のうち、金曜日の分合計三〇時間については労働時間から除くべきであるから(なお、原告は、<証拠略>、昭和六三年一月八日の金曜日の有給休暇を昭和六二年七月一日に申請していたものであるが、金曜日の授業を止める旨申し入れたことによりこの申請を撤回したというべきである。)、賃金請求権は発生しないが、その余の三五時間については、原告の労務の受領拒否があったものとして賃金請求権を認めるべきである。そうすると、原告の請求は、一三万七三〇五円(三九二三円×三五時間)の限度で理由がある。
次に、退職金の請求については、制度の趣旨からみて右金曜日の分三〇時間は基準労働時間から除くべきであるから、退職前三年間の基準労働時間は三二一九時間となる。そして、(証拠略)によると、原告は昭和五七年七月一日から二年間留学のため休暇を取っており、この期間は教員の退職金についての勤務年数から除くこととされていること、退職金額の算出方法及び計数は被告主張のとおりであることが認められる。したがって、原告の退職金は、一二四万二六四一円となり、これから既払額を控除すると一万三五一一円となるから、原告の請求は右の限度で理由がある。
さらに、年次有給休暇手当との関係においても、右金曜日の三〇時間は勤務時間から除くべきであるから、昭和六二年度の未使用有給休暇は九時間、その手当は四万五〇七二円、被告が買い上げるべき昭和六三年度の有給休暇の時間は六八時間、その手当は三四万〇五四四円となり、年次有給休暇手当の合計額は三八万五六一六円となる(原告が年次有給休暇を被告主張のとおり取得したことは、<証拠略>により認められる。)。そして、被告が年次有給休暇手当として四〇万〇六四〇円を支払ったことは当事者間に争いがないから、原告の右手当の請求は理由がないことになる。
昭和六二年度の三月賞与についても、金曜日の三〇時間は予定勤務時間数から除くべきであるから、その額は二八万八四三八円(三九二三円×一七三時間÷三月×一・二七五)となり、この金額から被告の支払った二三万〇〇八四円を控除すると、五万八三五四円となる。したがって、原告の賞与の請求は、右の限度で理由がある。
三 次に、その余の争点について判断するに、原告の慰藉料の請求は、その法律上の根拠が明確でないが、結局のところ被告が原告に就労させずにその賃金等の債務の履行を怠ったことを理由とするものである。そうすると、原告の請求が債務不履行に基づくものとすれば、右のような金銭債務の不履行を理由として精神的損害の賠償を請求することは許されないし、不法行為を根拠とするのであれば、就労させないこと自体は特段の事情のない限り違法性がないと解すべきであるから、原告主張の被告の行為は不法行為を構成するものではないというべきである。したがって、右請求は理由がない。
また、厚生年金に関する損害賠償請求についても、原告の雇用に当たり、被告が原告主張のような説明をしたものと認めるに足りる証拠はない。そればかりでなく、老齢年金受給の要件は法律上定められているから、原告においてこれを知り得たはずであり、また、被告は厚生年金保険法六条の適用事業所である(弁論の全趣旨)から、原告は被保険者となることが強制されていたもので、保険料の支払に関しては被告における教員の労働条件を定める「英語教員用ハンドブック」に規定されたところに従った取扱いがされたに過ぎない(証拠略)。そうすると、仮に原告主張のとおりの事実があったとしても、被告に債務不履行があったものということはできず、いずれにしても原告の右請求は理由がない。
(裁判官 相良朋紀)